なぜ、簡素なくらしを目指すのか?
一言で言えば、モノやストレスから解放されたいから。
★昔は誰もがミニマリストだった
「誰もが」というのは一般庶民の話ですが(笑)、たかだか100年、200年前でも、ふつうの人の持ち物は現代に比べたらずっと少なかったはずです。
高度な電子機器はないし、家電だってわずか。ファストファッションもないので、洋服も必要最低限。そもそも買えるものも、それを買うお店も、限られていました。
★現代のくらしはモノに支配されている
ところが今は、大量生産・大量消費の時代。なんでも簡単に買えるし、選択肢の広さはめまいがするほど。結果、家の中には大量のモノが入ってきました。
するとどうなるか? モノの維持管理にエネルギーを吸い取られるのです。
所有物を把握する――自分の持ち物、すべて把握できています?
モノを整理して収納する――場所、ありますか?
消耗品であれば、ストックを管理する――いったい何種類あるの……
耐久財であれば、消耗に合わせて買い替える――情報を集めて、比較検討して……
はっきり言って、疲れます。ほかにもやることはたくさんあるのに!
★くらしを支配するのはモノだけではない
しかも、問題は物理的なモノだけではありません。
仕事、家族、人付き合い、食生活、健康、余暇……と、考えなければならないことはキリがない。
それに拍車をかけるのが情報の多さ。情報や選択肢が多ければ、それだけ必要なものを選び取るのが大変になります。
★本当に必要なものは少しだけ
生存に必要なものだけあればいい……などと極端なことは言いません。
200年前のくらしに戻ろう……なんて無茶なことは言いません。
でも、なくても十分幸せにくらせるものを抱え込んでストレスを感じるくらいなら、しかも余計なものを消費して地球環境に負荷をかけるくらいなら、もう少し身軽にならなくちゃね、と思うのです。
今思えば、私は昔から(ざっと30年くらい前から!)シェーカー教徒のくらしや修道院の生活、H・D・ソローの『森の生活』に興味を引かれていました。すでに、すべてが「多すぎる」現代のくらしにストレスを感じていたのかもしれません。
だから、これからは意識的にくらしから余分なものをそぎ落とそうと思います。
このブログでは、そのささやかな取り組みをシェアできればと考えています。
みなさんの参考になれば幸いです。